わすれもの 小学校の玄関から溢れ出してくる大勢の児童たち。その中にようやく待ち続けていた少女の姿をみつけ、まず気持ちから先に少年は駆け出した。近付く少年の姿に、少女もにっこりと笑う。昨日の学校帰りはじめて訪ねた少女の部屋で、外が暗くなる時間まで、ふたりはずっと一緒に遊んでいたのだ。 「きのうね、帰ってからきづいたんだけど」と、少年は言う。「きみの部屋にね、てぶくろかたっぽ忘れてきたみたいなんだ」真冬の寒さのせいか、その頬が紅く色づいている。少し間をおいてから少年は続けた。 「これから取りにいってもいいかな」 シフトへと伸ばした左手に吹き付けたエアコンの冷気。その冷たさに、男は先程まで助手席に座っていた女が、白いノースリーブしか着ていなかった、その事を思い出してはっとした。エアコンが効き過ぎたこの車内の肌寒さに、どうして気がつかなかったのだろう。 今夜、女を家の前まで送り、女が助手席のドアを開け車を降りたその瞬間、ひとつの関係が終わっていた。駐車場に車を停める。空の助手席を見ると、これまで長い間女が保ち続けてきたシートの形。その形を消し去ろうと運転席から身を乗り出し、助手席下の位置調整レバーへと手を伸ばす。 その時、ちょうど先程まで女が靴底に敷いていた床の上で、何かが小さく光った。男はそれを拾い上げる。ピアスだった。銀色の小さなハートの輪がふたつ、鎖のように互いを貫して繋がっている。 摘み上げたそれを男は見詰めた。見慣れたピアス。今夜も女の両耳を飾っていた。その片方がどうしてこんなところに。ふと遠い記憶が蘇る。手袋の片方。忘れてきたのではない。それは置いてきたのだった。しかも、その場ですぐに見つかってしまわないよう、宝石箱のような少女のおもちゃ箱の奥底へと、隠すように。少年は少女のことが大好きだったのだ。 男は戸惑う。これがここにある理由。ピアスは何も語らず、ただ男の指先で揺れ続けている。小さなハートの輪の中に、全てを閉じこめたまま。 Kaeka index. |